前回の続きです。
もくじ
上手に詰めることが収納上手な時代があったよね?
ここがかわらないから致命的に汚部屋体質
整理収納の記事を読めば読むほどガッカリする
●●だったら片づけられるという幻想
汚部屋体質はインテリアを愛でる権利があるのかどうか
上手に詰めることが収納上手な時代があったよね?
そこで初めて全部収納してあることが
片付いている状態ではないことを知るのです。
収納家具自体の数が多すぎること
全ての収納がパンパンで出し入れが難しいこと
それは、片づけたとは言えないのだと。
限られた収納場所にいかに工夫して収納力アップさせて
どれだけ詰め込めるかが収納の達人だと思っていた私は
とても衝撃を受けそして感銘を受け
押入れの奥底に眠っている使わないものを
手放すきっかけになったのです。
しかし、満足に片づけられるようになる前に
次の賃貸へと引っ越すことになりました。
今回は十分な収納。
リビングの一間の押入れは学習机がわりにし
下の段は子供用品とおもちゃ。
リビングの一間の押入れは学習机がわりにし
下の段は子供用品とおもちゃ。
扉を閉めたらリビングに乱雑さを感じさせない。
でも、それでも散らかっているのです。
狭い洗面所をすっきりさせるために
洗面所に物を置かないようにして
洗濯洗剤はキッチンの吊戸棚の中に
などなど、収納術だけは一丁前。
しかし、致命的な部分が何一つ変わっていないから
汚部屋体質のままなのです。
ここがかわらないから致命的に汚部屋体質
実際のところ致命的な部分が圧倒的に変わっていなかったのです。
それは、片付けの優先順位。
片付けの優先順位が上がれば行動力へと繋がりますが
子供の頃から片付けが
四季折々の行事やイベントのごとく
君臨していたので
疲れていたり体調不良になったり
時間がない時に
やらなくなるのが片付けになってしまうのです。
逆に私は食べることが子供の成長や健康に
不可欠だと思い込んでいたので
どんなに疲れていてもどんなに体調不良でも
どんなに時間が無くても
どんなにやりたくなくても
バランスのとれた食事を
作ることはやめられなかったのです。
それと同じくらい片付けがやめられない人になったら
どれだけ整然とした部屋になるだろう!
と、どんなに思っても優先順位が上がることはありませんでした。
それは、片付けの優先順位。
片付けの優先順位が上がれば行動力へと繋がりますが
子供の頃から片付けが
四季折々の行事やイベントのごとく
君臨していたので
疲れていたり体調不良になったり
時間がない時に
やらなくなるのが片付けになってしまうのです。
逆に私は食べることが子供の成長や健康に
不可欠だと思い込んでいたので
どんなに疲れていてもどんなに体調不良でも
どんなに時間が無くても
どんなにやりたくなくても
バランスのとれた食事を
作ることはやめられなかったのです。
それと同じくらい片付けがやめられない人になったら
どれだけ整然とした部屋になるだろう!
と、どんなに思っても優先順位が上がることはありませんでした。
整理収納の記事を読めば読むほどガッカリする
片付けができる人に憧れて
片付けや収納の本やブログを読み漁っていた時期があります。
片づけ方もわかるし整理収納の仕方もわかります。
言ってることはわかります。
そして、読めば読むほど他に方法がないのだと気づきます。
しかし、汚部屋体質の私たちは思います。
そんなことわかってるし
それができるならとっくに片付いてる!!
小手先の小技だけなら
工夫もするし、自分のアイデアも試すし
片づける知識がないわけでも技術がないわけでもない。
今度のシステムは完璧だぜ!!!!
って、思ったのも束の間
結局、汚部屋にリバウンドということを繰り返しているのです。
片付けや収納の本やブログを読み漁っていた時期があります。
片づけ方もわかるし整理収納の仕方もわかります。
言ってることはわかります。
そして、読めば読むほど他に方法がないのだと気づきます。
しかし、汚部屋体質の私たちは思います。
そんなことわかってるし
それができるならとっくに片付いてる!!
小手先の小技だけなら
工夫もするし、自分のアイデアも試すし
片づける知識がないわけでも技術がないわけでもない。
今度のシステムは完璧だぜ!!!!
って、思ったのも束の間
結局、汚部屋にリバウンドということを繰り返しているのです。
●●だったら片づけられるという幻想
体力がついたら片づけられるのに
この心がごちゃごちゃしてるのなくなったら片付けらるのに
家が可愛かったら片付けらるのに
収納がたくさんあれば片づけられるのに
子供が大きくなったら片づけられるのに
学校の行事が終わったら片付けらるのに
遊びの誘惑がなければ片付けらるのに
時間がたっぷりあったら片づけられるのに
この心がごちゃごちゃしてるのなくなったら片付けらるのに
家が可愛かったら片付けらるのに
収納がたくさんあれば片づけられるのに
子供が大きくなったら片づけられるのに
学校の行事が終わったら片付けらるのに
遊びの誘惑がなければ片付けらるのに
時間がたっぷりあったら片づけられるのに
そんなことを考えていた私は
体力をつけたり心と向き合ったりしているうちに
マイホーム建築でお気に入りのものに囲まれる生活を手に入れ
子供をいいわけに出来ないくらい子供が成長し
このコロナ禍で
学校行事もなくなり
遊びの誘惑もなくなり
時間もたっぷりすぎるほどたっぷり
●●だったら片づけられるのに
のすべての条件を満たしてしまいました。
しかし、結局片づけられてません。
そんなことわかってるし
それができるならとっくに片付いてる!!
↑
結局これをやるしかないのです。
とっても、残念ですがこれと向き合うしかないのです。
それで、実は整理収納のノウハウっていうのは
自転車で例えるならカタログなわけです。
カタログを眺めててカタログから自転車を注文しても
自転車には乗れるようになりません。
自転車に乗る為の練習方法こそが
汚部屋を抜け出す為の方法で
そんなことわかってるし
それができるならとっくに片付いてる!!
↑
これをやろうとしてもできないのは
その手前をすっ飛ばしてるからだということに気付いたのです。
(その話は長くなるので別の機会に)
汚部屋体質はインテリアを愛でる権利があるのかどうか
整理収納が自転車でいうところのカタログだといいましたが
インテリアも同じだと思っています。
汚部屋住人にとっては、インテリアを楽しむことと
整理収納はどちらも同じ位置にあって
自転車でいうところのカタログです。
でも、自転車に乗れなくてもカタログから自転車を注文することができます。
つまり、汚部屋でもインテリアを楽しむことも
整理収納を楽しむこともできてしまうのです。
なんなら、私にとってはそれが脱・汚部屋への
モチベーションになっていました。
インテリアも同じだと思っています。
汚部屋住人にとっては、インテリアを楽しむことと
整理収納はどちらも同じ位置にあって
自転車でいうところのカタログです。
でも、自転車に乗れなくてもカタログから自転車を注文することができます。
つまり、汚部屋でもインテリアを楽しむことも
整理収納を楽しむこともできてしまうのです。
なんなら、私にとってはそれが脱・汚部屋への
モチベーションになっていました。
以前、ハンドメイドの記事にも書いたことがあるのですが
私は1冊のインテリア雑誌に憧れて
好きなインテリアの妄想を膨らませてきました。
もっと遡れば、今よりずっともっと汚部屋だった
幼少期からインテリアの妄想を膨らませてきました。
そして、そんな生活を送る機会に恵まれているのも関わらず
片づけられなくて汚部屋にしてしまってることに
インテリアを愛でる権利がないのではないかと
苦しんだこともありました。
だけど、よくかんがえたら以前の自分よりずっとずっと
片づけられるようになっているし
リバウンドしてもガッカリしなくなったし
そもそもその権利は自由だし
絶対にいつか片付けられるようになる
と、未だに思い続けていられるのは
インテリアのおかげだと思っています。
長年この汚部屋体質と向き合ってきた私が思うことは
どんなに汚部屋でも
我こそはキングオブ汚部屋住人だ!!
と、思うことがあっても
どんなに片づけが進まなくて自己嫌悪に陥っても
自分の好きな事を楽しむことは
忘れてはいけないなと思います。
汚部屋という体験は全ての人が味わえるわけではありません。
今のその惨状もそこから抜け出す体験も
すべてが貴重な体験だと思って
汚部屋体質の自分も楽しんでいる最中で
それこそが明るい汚部屋の未来だと思っています。
長くなりましたが最後までお読みいただきありがとうございました!!
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