私の好きなインテリア。


無垢の床。漆喰の壁。 ジャンクな棚。 

ビーズランプ。 カリモク60Kチェア。 ルーバー飾り窓。

床の上のプリントの束。 
洗濯済みの洋服の山。?
部屋干しの洗濯物。ん?
テレビの埃。んん!? 


改めまして 私の好きなインテリア。 

マリンライト。 ウンベラータ。

ホーローシンク。 柱と筋交いと梁。 

タイルの洗面台。 ガラスドアノブ。 

ソファにかかった夫の上着。え? 
床で丸まった子供の靴下。え?! 
届いた荷物の空き箱。ええ!?
枯れた観葉植物。ええー!?
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信じられないだろ?汚部屋なんだぜ。 
(写ってないとこが。) 


グータラ主婦のカフェ風汚部屋にようこそ!

はじめまして。 グータラ主婦の友希です。 

私は汚部屋生まれ汚部屋育ち

自分で作ったものを売る

という子供の頃の妄想を

現実にして生きる40歳です。
(2020年5月現在)


夫のバンチョウ41歳と

18歳の長男、高1の長女、小4の次女

と、5人で暮らしています


ベタなナチュラルインテリア好きな私は

インテリア雑誌や憧れのブロガーさんの

見よう見まねで

我が家を好みの空間にしてきた為

カフェみたいだね。

と、褒めてもらうことが多いです。 



とっても嬉しい反面 とっても心苦しいです。

褒められれば褒められるほど いたたまれません。 

インスタやブログに載せる時は 載せる場所だけを 

それなりに見えるようにしているので 

一見するとカフェ風インテリア。

しかし、我が家は実際は

カフェ風汚部屋なのです。


いつか汚部屋体質から 卒業できるかもしれない。

と、思いながら 一念発起して

片付ける→汚部屋になる

とリバウンドを繰り返しています。


ここでは、私がいかにして

汚部屋体質になったのか

また、汚部屋がわたしの人生に

どのような影響を及ぼしてきたのか

そして、汚部屋と向き合っているうちに

見えてきた汚部屋の未来について

語りたいと思います。  


 もくじ
いつから汚部屋だったのか
友達の家もそうだと思っていた
私は片付けられるという思い上がり
子供の頃から家の間取りやインテリアが好きだった
結婚してからの汚部屋体質の行く末

 

いつから汚部屋だったのか


幼少時代の実家は 物があふれていました。

そこに、父と母と姉と妹と

5人で暮らしていました。

こたつの上は常に何かが乗っており

食事の時はそれらをどかして

食事が終わればそこに戻す。


取り込んだ洗濯物に 学校のプリント類の束で

埋もれているドレッサー。


部屋着を投げ込んだ和室に

脱衣所までの道のりが 獣道になっている台所。


いつも大量の食材が 山積みになっていた

食事をすることのない ダイニングテーブル。


本や洋服やおもちゃがごちゃ混ぜで

その上を歩いていた子供部屋。 


つまり、物が溢れているのが当たり前で

元に戻さないのが当たり前で

むしろ、元の場所など存在しないのが

当たり前なのです。


そして、どんなに汚部屋でも暮らせる

って、ことを身を持って

経験してしまったばっかりに

片付けの優先順位が上がらない

筋金入りの汚部屋体質なのです。

友達の家もそうだと思っていた

友達が遊びに来る!!!!


姉妹の誰かの友達が遊びに来ると決まった時

我が家は決まって母の怒号が響き渡り

片付けが始まります。



綺麗な部屋というのは日々の積み重ねで出来ています。

汚部屋はその積み重ねをしなかった結果です。


それを片づけるというのは

日々の積み重ねを一度にすべて

やらなければいけない。と、いうことで

大変な作業量になります。


あまりに大変だったので片付け終わった時の達成感が

何十年も経った今も思い出すことがありますし

その片づけが楽しかった。

と、いう記憶すらあるのです。



そして、子供のころの私は

全ての人間はそうして生きている

と思っていたのです。



いつもお邪魔しているお友達の家も

普段はぐっちゃぐちゃで

私が遊びに来ることになったから

家族総出で片付けているんだと

信じて疑わなかったのでした。


私は片付けられるという思い上がり

汚部屋に暮らしてはいましたが

友達が来るときや親せきが来るとき等

来客時は片づけていたので

片付いている。片付いていない。

と、いう概念はしっかりと身についていましたし

片付いてる時の快適さも知っていました。



なので、たまにキッチンのダイニングテーブルの上の

食材のストックを整頓したり

納戸の中を工夫して使いやすく片づけたりして

母を喜ばせていました。



汚部屋では物がなくなりがちなので

学校の無くしていけないものは

常に手提げ袋に入れて家中持ち歩いていました。



来客時は片づけるというのが世の中のスタンダード

と、信じていた為に


もしかして、いつも片づいてたら来客時に

慌てて片付けなくてよくて便利じゃない?

と、いう自分の閃きを

とても斬新な持論だと思っていたのです。



だから

私は片づけられるけど家族が散らかすから

迷惑かけられてる。


とさえ、思っていました。




子供の頃から家の間取りやインテリアが好きだった


子供の頃、3姉妹で2部屋を一緒に使っていたので

自分の部屋というモノに憧れていました。


そこには汚部屋だったことは影響していないと思うのですが

自分の思い通りになる空間というのは

自室がなかった人にとっては

憧れだったのではないのでしょうか?



賃貸やマンション等の住宅関連の折込チラシは

必ずチェックして妄想の中で家具を配置して遊んでいました。



私は汚部屋以外でも世の中のスタンダードと

かけ離れた幼少時代を送っているのですが

いい年した今となっても

周りにそういう人が少ないことにいちいち仰天しています。


結婚後、その自分の幼少期の家庭環境が影響して

色んなことを拗らせまくっていました。

そんななか

私はマイホーム建築中に

一番苦手で人生で避け続けてきた

自分の頭の中を人に伝える

と、いうことをしなくてはならなくなったのです。




幼少時代からの妄想が現実になろうとしているのに

おめおめ引き下がることができなかった私は

伝え方が下手すぎてけんかになったり

結局伝わらずに諦めたり

時にはただのわがままじゃないのかと

自己嫌悪と闘いながら

向きうことになったのです。



よく、家を建てると人生が変わるとか聞きますが

まさに私たち夫婦はそれでした。

夫婦の会話もさることながら

生き方も価値観も根こそぎひっくり返っています。



子供の頃から好きだったからこそ

諦められずに苦手なことに取り組んだ結果

なのかもしれません。




結婚してからの汚部屋体質の行く末


私たち夫婦のマイホームが完成したのは

結婚してから10年が経つ年の2011年の春でした。


それまでは賃貸アパートに住んでいました。

3か所ほど賃貸アパートを経験しています。



最初は5畳1部屋6畳1部屋7畳のキッチンの2DK

収納は押入れ1.5間


次は6畳2部屋8畳のキッチンの2DK

収納は押入れ一間


その次は6畳が1部屋14畳のLDKの1LDK

収納は押入れ一間と2畳のウォークインクローゼット



最初の部屋は激しく散らかることは

多々ありましたが

しまう場所が決まっていないモノがあるとかは

無かったように感じます。


次の部屋はずでに最初の部屋よりも

半間収納が少ない状態でのスタート。

子供の物もどんどん増えていた時期で

それなりに工夫して片づけているつもりでした。



しかし、ある日ママ友に言われたのです。

「●●君ママこれは片づけたって言わないよ。」

「もしかして一度もおもちゃとか捨ててないんじゃない?」


えー!!!!!これ片付いてないの?

物って増え過ぎたら捨てていいの?



続きます。